
神様の最初の子供達、アダムとエバは神様を落胆させました。誘惑者によって迷い出てしまった後、神様と愛の関係で結ばれた生活に入るよりは、神様に背を向けて自己満足のために生きる事を選びました。人を堕落から回復させようと、謙遜な父なる神は、愛という綱でご自身を人に結ばれようとなさいました。愛する者たちとの契約を守るために、持てるもの全てを捧げてくださったのです。 しかしながら、人間の心は更に堅くなったので、その愛に応答することはなかったのです。自分を愛するがゆえに偶像、罪、不信仰に陥り、契約の律法を守ることはできず、神に対する信仰を守り通す事もできませんでした。神様から離れてしまった人々は、暗闇に住み、偽る者、サタンによって縛られ、死という報酬をもたらす罪の奴隷となったのです。
神様の愛を拒絶した強情で失われた、信仰の無い人々に対する父なる神の声を聞きましょう。
「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。
わたしが彼らを呼び出したのに/彼らはわたしから去って行き/バアルに犠牲をささげ/偶像に香をたいた。
エフライムの腕を支えて/歩くことを教えたのは、わたしだ。しかし、わたしが彼らをいやしたことを/彼らは知らなかった。」1
「わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き/彼らの顎から軛を取り去り/身をかがめて食べさせた。」2
「わが民はかたくなにわたしに背いている。」3
「たとえ彼らが天に向かって叫んでも/助け起こされることは決してない。」4
「ああ、エフライムよ/お前を見捨てることができようか。イスラエルよ/お前を引き渡すことができようか。」5
「わたしは激しく心を動かされ/憐れみに胸を焼かれる。」6
父は堕落した人間を悲しみ、私についても悲しまれたのです。アダムとエバが彼から隠れたように、私もファンタジーの世界に逃げていたのです。自分の低いセルフイメージを隠すために、高慢になり、自分を正しい者とし、「善行」することに一生懸命だったのです。自分は愛を欲していたのですが、愛をどのように与えたら良いのかわからなかったのです。自己中心な要求を私の夫を含む回りの人に押しつけながら、結局、自分は満たされないままの傷ついた、孤独な人間でした。心の底では実は天の父を求めていたのでしょう。なぜなら、私も彼の所有としてつくられたものだからです。堕落 してしまったアダムや、イスラエルの民を呼ばれたように、私も名前で呼んでくださっていたのです。私の暗闇に包まれた、混乱した心の中で必死で呼んでくださっていたのです。私をあるがままで受け入れ、それにより彼の愛に私が自分を委ねることができるようになるためにです。
私たちを大きな愛をもって愛してくださり、御元に招いてくださっている方を、あなたも認めなかった事はなかったでしょうか。彼を本当にご存知ですか。自分に命を与えてくださったこと、そしてケアして下さった事を感謝した事があるでしょうか。この方があなたの主ですか。それとも、空しく自己実現だとか、所有する欲望、また世俗的な楽しみを得るという偶像を礼拝しているのでしょうか。この世を治めている悪魔に盲目にされてしまい、父なる神から引き離されてしまったのでしょうか。自分の罪ゆえに死刑に定められている存在ではありませんか。「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。」7
地の基が定められる前から、神様は私たちの救いのための準備をしてくださっていたのです。神の民に対しては、神様は契約の誓いをおたてになりました。
「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと、あなたを憐れむと主は言われる。」8 「わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。」9 神は堕落した人間と、聖なる神ご自身の間の溝の上にかける橋として、御子を捧げてくださいました。イエスキリストを通して人間のあがないのために支払われる完全な犠牲としてご自身を捧げて下さり、罪と死という妨げから永遠に私たちを解放してくださるのです。10
「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民(イスラエル)の契約、諸国(異教徒)の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた。」11
1つの目的のために、神の主権に従って、御子は完全な従順を見せてくださったのです。天の栄光を後に父の元を離れ、100%神であり、100%人間でもある彼はこの地上に降りて来られたのです。私たちのようになるために、血の流れる肉体をもって降りてこられました。
「そこでわたしは申します。御覧ください、わたしは来ております。わたしのことは巻物に記されております。わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、あなたの教えを胸に刻み」(詩編40編8、9節) 12
罪の無い33年の生涯において、ナザレのイエスは、私たちが決して出来ない事をしてくださいました。それは、契約の律法を守られたという事です。彼を通して、愛である父なる神は、清く正しくありながら、憐れみを見せてくださったのです。罪人の代わりに死んでくださる事により、罪を犯した者はいけにえという犠牲を払わなければならないという契約を全うされたのです。13
イエスキリストは人間のための贖罪のヤギ、いけにえの子羊となるように父なる神が準備しておられた方なのです。 「見よ!この世の罪を取り除く神の子羊!」14 彼は罪を犯さず、彼の口には偽りは見いだせませんでした。苦しまれた時も、誰をも脅すことは無かったのです。そのかわりに正しく裁かれる方に全てを委ねました。15 彼の顔だちは、そこなわれて人と異なったようになりました。16 イエスは叫びました。よく見よ。これほどの痛みがあったろうか。わたしを責めるこの痛み、主がついに怒ってわたしを懲らすこの痛みほどの。17 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」18
父なる神は、全世界の罪が子の体を覆ってしまった時、彼の顔をキリストから背けました。イエスは私とあなたのために罪を負ってくださったのです。
「わたしたちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。」 19
これをお読みになってくださっているあなたの心に、カルバリで起こった出来事のこの素晴らしい啓示が示されますように。イエスが罪をあなたのために負われた時、神の怒りをその身に受けたのです。イエスの裂かれた体と流された血によって、 あなたを神から離している妨げは取り除かれたのです。自分自身を、自分の悲しみの心を彼に捧げましょう。それ以外に私たちには彼に捧げることができるものは無いのですから。
「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」 詩編51:19 20
私は崩壊した人生の中で、カルバリに来たのです。私は完全に失われて、滅びに向かいながら、自分はもう終わりだと思いました。私は自分の暗闇に包まれた思いの中でもがき、罪の中で混乱しながら、私のために血を流してくださった方に向かって叫びました。この叫びに応えてくださらなければ、私はもう限界に達していたので自分の命を断とうと考えました。私が自分を完全にイエスに明け渡した時、悪魔の束縛から私を救い出してくださったのです。 21 彼は私を赦し、回復と癒しを与え、彼の内に歩むという全く新しい人生を歩むように解放してくださいました。彼の十字架は「滅びてゆく者たちには愚かな話」22 ですが、これをしっかりと受け止め、信じる者にとっては「救いを与える神の力」23 となるのです。
十字架のところに行って、イエスキリストの死と復活を信仰によって自分にあてはめてみましょう。そのようにされた事の無い方は、次のように言ってみましょう。「全能の神様、天のお父様、私は自分が罪人であり、本来であれば死んで当然の者である事を告白いたします。あなたの戒めを守らず、あなたの愛を拒み、自分を自分で救う事ができないのです。お父さん、ごめんなさい。私は今迄の全ての過ちと罪に背を向けます。御子を送ってくださったあなたのいつくしみと憐れみを感謝いたします。イエス様、私の罪のあがないとして、血を流して下さった事を感謝いたします。私の主、救い主として私の心の中にお入りください。信仰によって今あなたからの赦しと清めをいただき、あなたの恵みと愛の中で、あなたに自分を明け渡し、従います。あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。」