
イエスキリストに献身している人は、キリストの死と復活に望みを置く信仰によって、新しい人生をいただいています。カルバリの丘で、あなたとあなたの内にあるアダムの古い性質は、イエスと共に木(十字架)にかけられたのです。聖書は、信じる者にこう言っています。「私たちの古い自分はキリストと共に十字架につけられたのです」1 あなたは堕落したアダムの性質をもっていましたが、今は生ける神の御子の似姿になるのです。2
全能の神が人格を持たれた聖霊として、イエスが埋葬された墓に入っていかれイエスを死からよみがえらせた時、あなたは「キリストの内にいる」3ものとなったのです。そしてあなたの霊は、一度は罪と死に捕われていましたが、今は命を得られるようになったのです。「人の魂は主のともしび」4 なのです。永遠の命を私たちに与え、神はあなたの内に生きた霊を与えて下さいます。「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。」5 これは天において定められ、霊の領域で現実に起こる事なのです。でも、この事に関してはあなた自身が聖霊様を通して自分の霊において確認し、自分の人生において体験しなければなりません。
イエスキリストを通して、父は私達を養子としてくださり、神の品性と神(王)から相続するという相続権を与えられ、絶対的な真理と命の書に記録される者とされたのです。この父の家族として、彼の心を捕らえる息子、娘となったのです。私たちは彼の愛に応答し、十字架で完成されたみわざを通して私たちの創造者に立ち返る事を自らの自由意志によって選択しました。父が放蕩息子を迎えるように、神様は両腕を広げて私たちを喜んで歓迎してくださったのです。契約の血によって、堕落したアダムの性質によって私たちを捕らえて来た「暗闇の力」6 から私たちをあがなってくださったのです。今、私たちは「愛する子の御国」に住む「光の子」とされました。この事は肉の眼にはみえず、知識では理解できない霊の領域の事ですが、キリスト・イエスの内にいる者にとっては力強い真理なのです。彼が私たちに与えてくださった力強い御名によって、王なる神の家族として、王の権威と特権をこの世において私たちが行使することができるのです。豊かな生活のための物質的、また霊的な備えは私たちのためのものです。 神は私たちをイエスとの「共同の相続人」7 としてくださり、このイエスは「多くの兄弟の長子」8 とあるように私たちの兄のような存在でもあるのです。 私たちの中の深いところで、「この霊こそは、わたしたちが神の子どもであることを、わたしたちの霊と一緒になって証しして」9 くださいます。
私たちはこの方に永遠に結婚の関係で結ばれ、私たちが彼を愛し尊ぶことにより関係がさらに深まり、父なる神様は私たちが清くなるための恵みの契約を下さいました。「憐れみ豊かな神は、私たちのこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かしました。」10 イエスにあって全てを受け取った私たちは、キリスト中心の生活を送りながら、自分自身を完全にこの方に捧げる事によりお返しをするのです。
新しいクリスチャンになったばかりで、暗闇から光へと移されたばかりの時は、私はキリストにあって自分が何者なのかを理解せずに歩んでいました。彼を愛していましたが、彼を私の主として生活していくことは人間的な努力をしてもできませんでした。私の霊の人は新しくされたのですが、まだ弱かったので、立ち上がって「約束の契約」をにぎりしめながら、自分の生活の中で実を結ばせることができなかったのです。殆どの場合、私は自分という世界の中におり、悪魔により打のめされた私の暗い魂、すなわち私の意志や感情に影響されていたのです。神の真理に目が開かれる必要があり、私の意志はコントロールがきかなく、反抗的で、私の複雑に絡み付いた感情は清められ、癒されることを叫び求めていました。このような大きな必要に責められていた私は、励ましと愛を受けながら、飢え乾いて聖書に立ち返っていき、聖霊様に私の教師、導き手となっていただきました。 神の言葉の著者であるこの方だけが、私たちに「新しい命に生きるため」11 に霊を注ぎだすための力と啓示を与えることができるのです。
私たちの主は、十字架にかかられる前に、弟子たちに聖霊様の事をお話になりました。この聖霊様無しでは、弟子たちは無知で敗北してしまうことを知っておられたのです。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」 「その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる、、わたちのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、私のものである。」12
キリストが天に上げられた後、復活したキリストは再び栄光に満ちた父の右の座に着座され、その後、ペンテコステの日に、天から地上へ聖霊様が降りて来られました。神を代表し、「地の基が据えられた時からほふられた子羊」である主、イエス・キリストを表し、その血の力を表すために来られました。新しい契約の証し人として、聖霊様は人々を十字架へと導き、信じる者には、彼等の罪を示し、清められる事を示されるのです。そのような人々を新しく生まれさせ、彼等の魂がイエスキリストの姿に変えられていくように、また神の目的が彼等の人生に達成されるように力強く働いてくださいます。
この真理の御霊にあなたの歩みを委ね、毎日、忠実に聖書を学ぶように自分の意志を鍛錬しましょう。神の約束は、彼を真剣に求め、信仰によって歩む人たちの間で成就されるからです。もし、まだあなたが、神の言葉を知らないのでしたら、「私たちが信じるために」ヨハネの福音書からお読みになると良いでしょう。この書簡は神の心をよく表していて、キリストにあって私たちは何者であり、何をただで与えてくださったのかが書いてあります。ローマ人への手紙では、神様の救いの計画についての定義が記されており、エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙では、キリストにあって本当に私たちはどのような者なのかという事が書いてあります。 ガラテヤ人への手紙は聖霊様のうちにキリストとどのように歩むのか私たちを勧め、教えています。特にヘブル人への手紙、特に5章から10章でもそのようになっています。イエスの血によって、新しい、さらに勝った契約をいただくことができるのです。
聖書は単に2つの証または契約から成り立っています。旧約の契約が与えられたのは、神様の助け無しには、彼を愛する事も律法を守る事も出来ないという人間の限界を示すために、律法の古い契約が与えられたのです。神の友、忠実なアブラハムは主の前に完全な信仰を働かせて、心から主の道を歩む事と、全ての祝福を相続する事を望んでいましたが、彼の人間としての弱さが彼を失敗させることもありました。恵みの契約によって、父なる神は知恵を用いて、私たちとの関係を結んでくださいました。私たちの人間としての弱さに対して契約を結ぼうとはなさらず、最初に約束をされていた御子を通して、この契約を結ばれたのです。 はじめに約束が告げられたのは彼の一人子キリストに対してだったのです。13 「わたしたちの内に今住んでおられる方、私たちの命となられた方です。」14 パウロがガラテヤ人に言いました。「私はキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」15 復活によって神は、信仰によってキリスト・イエスに結ばれた新しい人と契約を通して1つとなられたのです。16
この啓示が私の内なる人に明確に示され、私はこの上に新しい人生を築くという選択をしました。聖霊が死から私を復活させ、新しい命を私のうちに吹き込まれると、エホバが約束されたように神の律法が記された心、キリストの思いが与えられたのです。17 私のうちには「父の御心を喜んで行なう」事を望む、罪が赦された肉の心がありました。絶えず私を支配しようと墓から頭をもたげる古い自分がいるにもかかわらず、また、自己中心へと引っ張ろうとする自分の魂との戦いの中で、私は次の神の言葉を信じる決心をしました。「誰でもキリストの内にあるものは新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。全てが新しくなりました。」18
この啓示をあなたも受け取ってください。十字架は、あなたの罪だけに対して働いたのではなく、罪人であるあなたに対して働いたのです。「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。」19 恵みによってあなたは、「その方によって神の義」とされたのです。 20 新しくされた人は神の霊と彼の言葉に学びながら生活し、自らの意志を完全に神に委ねると、内側にあるキリストの命がいつも父を喜ばせるのです。 21
御言葉は命じています。「聖霊に満たされなさい」22 神様の御心を行うにあたり、私たちは自分の内にいる霊の人を強め、備えるために、「父からの約束」という聖霊のバプテスマを受けなければなりません。このバプテスマはペンテコステの日に超自然的な力を初代教会のクリスチャンに与えて彼等を建て上げたものでした。 このバプテスマは、私たちが信仰によって信じて救われたのと同じように、信仰によって受け取るものです。御言葉を調べ 23 聖霊によってあなたに洗礼を授けるイエス様に、毎日、聖霊で満たしていただけるように求めましょう。24
「清く愛されている者たち」、聖霊によって新しくされた者として立ち上がりなさい。25 御言葉に今、そしてとこしえに同意し、「罪に対しては死んだ者、そして私たちの主、イエスキリストにあって神に対しては生きた者」26 となりましょう。あなたの花婿があなたを王の婚礼に招いておられるのです。彼自身のアガペ27 の愛が聖霊によって、私たちの心に注がれています。28 愛の契約にあって、あなた自身を彼に捧げましょう。彼の恵みによって、心、思い、力を尽くして自由に彼を愛する事を誓いましょう。律法を締めくくる事は、清い心から出る愛なのですから29 彼の臨在しているところで、両腕を広げて神様が招いてくださっているのですから、その招きに応答しましょう。彼の温かい抱きしめに身をまかせて、守っていただきましょう。
「王様、わたしをお部屋に伴ってください。」30
「ぶどう酒にもましてあなたの愛は快い」31
彼だけに自分を捧げると、あなたの情熱は、この大きな愛なるお方を喜ばせるのです。この目的のために彼はあなたを造られました。この事のためにキリストは死なれたのです。自分の無価値感、また罪悪感に責められながらアダムが隠れたように、私たちが隠れる必要は無く、他の人のように振る舞う必要もなくなるのです。 良い行いをする努力によって彼を喜ばせたりせず、彼の内に静かに休みましょう。32 あなたのあるがままの姿で、「愛される者として受入れられた」ものという彼の声をそのまま受け入れましょう。
「お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」 33
「世の基が据えられる前」に父があなたを選ばれた時、すでに彼はあなたの事をよくご存知でした。あなたという美しくユニークな霊を通して、彼はご自身の品性を反映していく事ができるように、彼はあなたとの親密な愛の関係を望まれました。 彼の教会は世界中にいる王の家族であり、クリスチャンたちがあなたとつながる事も彼の知恵によって計画されました。ユダヤ人であれ、異邦人であれ、十字架でなされた完成した御業による信仰を通して、父に立ち返る人全てがキリストの体の一員として聖霊によって結ばれるのです。私たちの生活のあらゆる状況において、イエスの血潮の力を通して聖霊は働かれ、私たちを洗練し、悔い改めるために継続的に行っている罪を示し、私たちの信仰を破壊しようと働く敵に対して堅く立つことができるように働かれるのです。私たちが自己中心の生活に死ぬ事を選択し、神に対し、また人に対して愛によってへりくだるならば、キリストの体の一員として役割が与えられます。 私たちがあの「栄光の教会」34 になるのです。それがこの地上においてイエスを表す行為となり彼を喜ばせるのです。私たちの主が十字架にかかられる前に私たちが「1つとなることにより完成するように」と祈られのは、私たちを通して、この世が父の愛を体験し、彼が御子を遣わしたのだという事実を知り信じるためなのです。 35
あなたの愛の表現として、毎日、開かれた心で聖なる神に出会う事を期待して、彼のところへ賛美と礼拝をもって行きましょう。思いあたる罪を全て告白し、イエスの血で洗っていただき、奇麗にしていただきます。この血だけが全ての不義から私たちを清め、36 私たちを至聖所へと導きます。イエスの罪の無い体が私たちのために刺し通され、裂かれた時、神と人とを隔てていた宮の中の幕は「まっ二つに裂かれた」37 のです。動物の血によって単に「覆われた」、または「過ぎ越された」罪に代わり38 私たちのために遣わされた大祭司イエスキリストが彼自身の血潮を父の前で私たちのために流してくださったのです。39 彼の前に献身し、従順になる時、彼の血潮は、私たちが罪の意識や古い性質からでも解放される力をもっているのです。心をいつも見張り、内におられるキリストを自覚すると私たちが励まされ、「生ける神に自由に仕える」 40 ことができるようになります。
あのアブラハムやモーセがしたように、私たちも神様との関係の高さや深さを計ることができます。彼だけを望む人々、毎日、愛をもって礼拝する時間を大切に守っている人、彼の御言葉を理解し成長し、神様の清めや癒しに対して身を委ねる時、彼は私たちと親密な友情関係を結ばれます。結婚関係の甘い香りが覆い、彼等の内側の契約の印は肉の心となり、罪から割礼を受け、神の意志に委ねるようになります。41 彼等の内側より、生ける水の川が流れるようになり、人々を父のところへと導く聖霊の力が働いて神の国が広がっていくのです。「神をよく知る」という事は「彼の生き方や目的に更に積極的になる」という意味です。 42
私は、御言葉に思いを巡らしている時、イエスのうちに明確に見たことによって、感情の領域で深い癒しを体験したのです。43 そこで悟ったことは、自分の肉親である父を通して、本当の父なる神様を見ていたという事に気づかされたのです。私の父は私を愛してくれていましたが、言葉や感情によってその気持を伝える事が苦手で、その代わりに私が長女だったので、私が出来る事以上の事を要求してくる人でした。私の中の見えない潜在意識の中には、失敗や拒絶から来た傷ができてしまいました。それらの隠れていた記憶や感情が私の内で反抗心に変わり、それが表に出でいましたが、 私の魂を愛して下さる主によって赦され癒されていきました。 主が ご自身を個人的に、私の父、羊飼い、備え主なのだという事を示してくださる内に、私の心は柔らかくなっていき、恐れや怒りで満ちていた心が、敬う心や深い愛情をもつ心へと変わっていきました。彼の約束についての理解と信仰が深まるうちに、私のうちにインマヌエルとして、いつも一緒にいてくださり、いのち、健康、幸い、力、平安、そして喜びを与えてくださっている事を発見しました。 その時、これまで私は回りの人たちに、彼等が私に与える事ができない事を要求してきていた事がわかったのです。神様だけが、私の全ての必要を満たしてくださるので、今では、彼だけに目をとめ、待ち望んでいるのです。 「恋しいあの人はわたしのもの。私はあの人のもの」 44
私の古い思考パターンや感情が罪の性質をかき立て、敵が以前のような反抗に私を引き戻そうとやって来る度に、聖霊様と御言葉は私が勝利者として立ち上がるように教えてきました。45 神は私に「キリストの思い」 46 を与え、それは御言葉を知り、また服従し、私は自分の「魂を所有する」47 事を決心し、愛のうちに歩みながらも、自分の霊に自分が従うように教えてきたのです。過去の自分の失敗や、受けた傷に対する苦い思いを思い出そうとする時、その行為は私の主を深く悲しませるという事を彼から学んだのです。 それは、全ての事を新しくするために十字架上で流された尊い神の子羊の血を否定している行為だからなのです。
彼の恵みによって、両親を赦すことを決心し48 過去に私を落胆させ傷つけた人たち、毎日の生活において自分に対して不利な言動をする人たちをも赦す決心をしたのです。 聖霊様によって、主は私の心と思いの深いところで、それらの赦しのために働いてくださり、この赦しの力によって、怒りという牢獄の壁が崩れていきました。私の喜びに満ちた霊は、私の召命を自由に表現し、回りの人々を祝福し、勧め、励まし、私の主へと彼等を導くことができるようになったのです。本当に私のあがない主は生きておられます!
「あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができるお方、わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。」 ユダの手紙24、25節